悪の華 Les Fleurs du mal (1861)
Charles Baudelaire/萩原 學(訳)
憂鬱と理想 SPLEEN ET IDÉAL
ボードレール『悪の華』韻文訳――015「冥界のドン・ジュアン(1861年版)」 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート
2024/06/17 18:31

15. ドン・ジュアンの地獄落ち
XV
DON JUAN AUX ENFERS
地獄手前のアケローン、落ちてきたのはドン・ジュアン、
オボロス銀貨の渡し賃、取るは渡し守カローン。
清貧なるアンティステネスが眼差しもて、
陰気な乞食、櫂を握るは復讐に燃える剛腕もて。
Quand Don Juan descendit vers l’onde souterraine
Et lorsqu’il eut donné son obole à Charon,
Un sombre mendiant, l’œil fier comme Antisthène,
D’un bras vengeur et fort saisit chaque aviron.

はだけたドレス、垂れた乳房を見せつけた
女たち、身を捩らせる彼方に天地黒々と*1
犠牲の牛の大群も、かくやとばかりに詰めかけた
彼が背、てんでに鳴く声も、その尾を引くこと長々と。
Montrant leurs seins pendants et leurs robes ouvertes,
Des femmes se tordaient sous le noir firmament,
Et, comme un grand troupeau de victimes offertes,
Derrière lui traînaient un long mugissement.
俺の給料をと、ニコニコせがむスガナレル*2
岸辺を彷徨う亡者共にあれよこれよと
ドン・ルイの人を指す指戦慄かせる
不敵にも白髪頭を嘲る息子に之ありと
Sganarelle en riant lui réclamait ses gages,
Tandis que Don Luis avec un doigt tremblant
Montrait à tous les morts errant sur les rivages
Le fils audacieux qui railla son front blanc.
貞淑一途のエルヴィーラ*3、すらりと喪服に身も震え、
今尚よりを戻したいだけ、あまりに不実な伴侶とは知れ、
泣いて求むは至高の微笑み、
甘い、最初の誓いも輝かしい。
Frissonnant sous son deuil, la chaste et maigre Elvire,
Près de l’époux perfide et qui fut son amant,
Semblait lui réclamer un suprême sourire
Où brillât la douceur de son premier serment.
甲冑まとい突っ立つは、かの石像の大男*4
艫に舵の柄ひっ掴み、切り裂く流れも黒々と、
気にせぬ英雄、デッキに細剣、杖と突き
航跡見やるも、何一つとして見るともなし。
Tout droit dans son armure, un grand homme de pierre
Se tenait à la barre et coupait le flot noir ;
Mais le calme héros, courbé sur sa rapière,
Regardait le sillage et ne daignait rien voir.

おお、ドン・ジョヴァンニ!平岡さんのボードレール『惡の華』 #15 の翻訳を見て、すぐ思い出したのはフルトヴェングラー指揮するモーツァルトのオペラだ。どうもこれが頭にあるせいか、放蕩者=ドン・ファン、騎士=ドン・ジョヴァンニと自動変換してしまう。もちろん同一人物で、国により言語により綴りが違い、発音が違うだけなのだけど。記事を読んでみると色々考えてしまい、感想を書く筈なのに結局、自分なりの訳文を書いてしまったのが、上記の腰折れである。フランス語は読めないので、ボードレール鑑賞は人様の翻訳頼り、堀口大學先生の訳では
地獄に落ちたドン・ジュアン、三途の川に降り立ちて
六道銭を支払ふに…
と始まるところだけ覚えている。違うと言えぱ違うよな… 割と好きなんだけどな。
平岡さんの解釈に全面的に依拠し、自分なりの日本語感覚で書くとこうなった。ダンテ『神曲』地獄篇を踏まえると、まだ地獄に到着していない点は、表現の工夫で何とかした。やっぱり表題には「地獄」を入れたいので。
HTML の問題
改行と段落の違い
はてなブログは「見たまま編集」で改行入れると、段落の終わりと解釈されてしまう仕様で、詩を書くのにどうにも不便。HTML を見ると、改行要素 BR を使わず、段落要素 P の終わりと解釈され、P 要素終了タグ </p> がついている。同時に、次行冒頭に 要素 P 開始タグ <p> が付き、一行ずつが一段落になっている。そこで詩行の形にするには、「HTML 編集」で一々、改行位置の 要素P終了タグ </p> を <BR> に書き換え、次行冒頭の要素P開始タグ <p> を削らないと、思ったようにならないのが面倒臭い。このマークアップを考えたプログラマは詩を書いたことがなく、改行の意味を知らないのだろう。
終了タグの省略
HTML では開始/終了タグを省略できる要素が指定されているのだが、はてなブログの構文解析は XML を意識してか省略を許さないようで、「HTML 編集」で終了タグを消しても、自動的に補間される。容れ物 containerではない要素 BR にはそもそも終了タグはないので、どうするかと見たら <br /> と、無理やり開始/終了タグをくっつけた形にしている。が、気にすることはない。と言いつつ気になるので、水平線要素 HR でどうなるか試したら、やはり <hr /> と変換された。これも Horizontal Rule の表示に問題はない。なお、「見たまま編集」に要素 HR は用意されていないので、使いたい人は「 HTML 編集」に切り替え <HR> と書こう。
要素 RUBY の使い方
と表記すれば、対応している Web User Agent でルビ表示ができる。要素 RUBY の開始/終了タグで全体を括り、その中にルビ文字を示す要素 RT を入れる形にすれば良い訳である。但しこのままだと、未対応 UA では
文字列よみかた
と、そのまま表示されてしまうので、未対応 UA にだけ括弧書きで表示させたい。そこで用意された要素 RP を使い
と表記すれば、対応済 UA では()を無視し、未対応 UA ならそのまま表示してくれる。
作品の感想など
カローンは乗っていなかった
この詩を読む度、渡し守カローンはどこに立つのか不審でならなかった。ダンテ『神曲』(藤谷道夫訳)では
109 悪魔のカローンは、その炭火のように赤々とした目で
110 彼らに合図を送り、皆を(舟の上に)集め、
111 ぐずぐずする者があるのを見ると、誰であれ、櫂で叩く。
112 ちょうど秋の葉が一ひら、また一ひらと剥がれ落ち、
113 最後には、自身の脱いだ衣がすっかり
114 地面に落ちているのを枝が目にするように、
115 その、アダムの悪しき種たちは、一人また一人と、
117 鷹匠の呼び掛けに従う鳥のように、
116 その岸から、合図に応じて、飛び降りる。
118 こうして魂たちが暗い水の上を去ってゆき、
119 向こう岸に降りきらぬうちに、
120 再びこちらの岸には新たな群が集まる。
とあるので、カローンが自ら櫂を握るに疑いない。そういう絵もあるので、如何なる時もカローンが船頭を務めるものと信じ込んでいた。
ところが詩を読むと、「陰気な乞食」が櫂を握り、騎士の石像が楫取をする。カローンが乞食になった?それとも自分の仕事を譲った?更に、紹介されたブログ『LA BOHEME GALANTE ボエム・ギャラント』で、元になったらしい絵画を見ると、渡し守どころか乞食も石像も見当たらない。女性を横抱きにした甲冑姿の騎士が杖つく細剣に顎を乗せ、他には女たちばかり。
Simon Guérin, Don Juan aux Enfers, 1841
渡し守カローンは、手動切符販売機よろしく、渡し賃を取るだけで、岸辺に立ちん坊しているのか。あるいは地獄行き切符売り場でも構えているのか。小舟は動力も楫取もなく全自動で向こう岸の地獄に到着し、乗客が降りたら自動的にカローンの元へ戻るのだろうか。地獄行き41年式の小舟は、テスラ EV も未だ覚束ないオートパイロットを完全な形で備えている模様。制御には何を使っているのだろう、地獄のことだから頑丈を頼み、Z80 でもストックしているのだろうか*5。その進む方向が逆に見えるのは、地獄に落ちるのだからしようがないのだろうか。アケローンの名はカローンと関係するようだから、拙訳ではそこを強調してみた。他にもやりようはあると思う。
牛の大群
平岡さんの指摘の中でも酷いのが、取り縋る女性の声を「牛の鳴き声」扱いしているという、「もう!」と猛攻撃を受けそうな一節。troupeau を引いてみたら、(悪い意味での)「群衆」というのも出てきたので、「牛の群れ」が正しいのだろう。安藤元雄訳で「羊の群れ」なのは、おそらく victimes に引っ張られて「犠牲の子羊」を意識したので、でも大群 grand troupeau となると苦しいか。
押し寄せた女性が揃って牛のような乳房を見せつけるとか、なんという壮観… しかし垂れ乳… 個人的には張りのある方が好ましいが。この詩人には他にも、垂れ乳を歌う一曲があったから、今から楽しみではある。しかし、何で垂れ乳なんだろう?お母さんが再婚した先の義父とは、ハムレットよろしくギスギスしていたらしいが、小さい頃にあまり構って貰えなかったのか?「三つ子の魂百まで」というから、彼がダンディであろうと、根っこは変わらなかったか。
ダンディ
そのダンディについて触れられているのも嬉しい。なんせボードレールという詩人は、初めて「ダンディ」を言語化した粋人でもある。不思議なことにシェイクスピアは、お化粧を忌み嫌ったとか。自然に反すると感じられたらしい。そこを「野生のままの顔で表に出ようとは、人間として無礼極まりない」と決めつけたのがボードレールである。確かに筆者の知る限り、美人というものは物凄い努力の結晶であり、頭の悪い美人など見た試しがない。それを人が聡明と取るか、狡猾と嫌うかは、行い次第。そこで自分を飾るというより、常に自分自身で在ろうとする、常に鏡を前にしている如くに振る舞うのがダンディである。というが、本当に実行してしまうようでは、周りは迷惑極まりない。だいたい、詩人などという人種は(当然ながら筆者を除き)総じてロクでもない奴ばかり。それがまた「自由」「個性」「ダンディ」などと言い出した日には、超ロクでもない存在に成り下がるのは目に見えている。なのでこの詩人は実際にも、風俗紊乱の科で告発され、有罪の判決を受けた。それしきの事でへこたれる詩人でもないが、しかし詩を書いて他人に読ませようというのに、無法者を気取るのは如何なものか。と思わずに居られないのだが、『吸血鬼』前書きに出てくるアルノルト・パウル事件、その関係者がハイデュク hajduk というのも、「傭兵」「山賊」「自由の闘士」などを兼ね備えた呼び方らしく。
どうも欧米のリバタリアンというのは「圧政への抵抗者」な意味合いが強く、「自由」の字が持つ「自ら責任を負う」意義をあまり感じないものらしい。英国でも囲い込み enclosure 以前に横行した追剥 Highway Man を歌うアウトロー・バラッドが流行ったことがある。Highway は「王道」「公道」に当たる幹線道路で、そこに馬に乗り出没するのが追剥だというのは、複数の領主が関わる道路での警察権の行使を誰もが忌避したせいだが、これでは物流が成り立つはずもない。楽聖ベートーヴェンも『ドン・ジョヴァンニ』が悪役なのに大役なのはよろしくないとの意見だし、東映ヤクザ映画でもあるまいし、いくら自由を謳ったところで、人に迷惑をかける自由が有るものか。と、差し挟んでおく。
詩人は何を見たか
洒落者ボードレールのことだから、モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』を見たに違いないし、モリエール戯曲による舞台も見ているだろう。森で乞食を苛む場面はモリエールのものだし、モノにした女を並べ立てるのは従者のアリア『カタログの歌』しかあるまい。
カトリック教会と対立したモリエール『ドン・ジュアン、またの名を石像の宴』そのままの形で再上演されたのは 1841 年だったから。版画集が刊行されたのもこれが切欠だったろうし、美術評論家としても見逃せない舞台だったに違いない。モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』台本はその前に書かれたから、聖職者の偽善を引き摺り出し笑い倒すモリエール劇から随分トゲを抜いたものになっているのは仕方あるまい。
以上、幾らかなりとも参考になれば。








