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【翻訳】ボードレール『悪の華』6. 灯台

憂鬱と理想 SPLEEN ET IDÉAL

2版3版とも VI

脚韻ABAB

ネタ元になった絵があった筈で、探してみた。たぶん違うものが多いとは思う。灯台の絵そのものは作中になかったから、Color Planet 塗り絵にあった灯台の絵を、表題に貼ってみた。


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6. 灯台 LES PHARES

Charles Baudelaire/萩原 學(訳)

ルーベンス、忘却の川、怠惰の園、
愛し合えないのに生々しい肉の枕、
しかし生命が絶えず流れ、うごめくそこ、
空の空気のような、海の水のような。

Rubens, fleuve d’oubli*1, jardin de la paresse,*2
Oreiller de chair fraîche où l’on ne peut aimer,
Mais où la vie afflue et s’agite sans cesse,
Comme l’air dans le ciel et la mer dans la mer ;

レオナルド・ダ・ヴィンチ、深い暗い鏡、
微笑み優しく天使たちの魅惑
謎に満ちて陰に潜み
その地閉ざせるは氷河と松。

Léonard de Vinci, miroir profond et sombre,
Où des anges charmants, avec un doux souris
Tout chargé de mystère, apparaissent à l’ombre
Des glaciers et des pins qui ferment leur pays ;

レンブラント、悲しい病院つぶやきに満ちて、
そして飾られるのは大きな十字架のみ、
涙の祈りが、ゴミの中から湧き上がる所で、
そして突然、冬の光が差し込み。

Rembrandt, triste hôpital tout rempli de murmures,
Et d’un grand crucifix décoré seulement,
Où la prière en pleurs s’exhale des ordures,
Et d’un rayon d’hiver traversé brusquement ;

ミケランジェロ、茫漠たる場所にヘラクレスが見える
キリストと交わり、まっすぐに立ち上がり
剛力なる幽霊、黄昏に現れる
指を伸ばし、引き裂く覆い。

Michel-Ange, lieu vague où l’on voit des Hercules
Se mêler à des Christs, et se lever tout droits
Des fantômes puissants qui dans les crépuscules
Déchirent leur suaire en étirant leurs doigts ;

ボクサーの憤怒を、牧神の厚かましさを、
無頼の徒の美を掬い上げる術を知る汝、
自負で心を膨らます、虚弱に黄ばんだ男、
ピュジェ、囚人たちの憂鬱な皇帝。

Colères de boxeur, impudences de faune,
Toi qui sus ramasser la beauté des goujats,
Grand cœur gonflé d’orgueil, homme débile et jaune,
Puget, mélancolique empereur des forçats ;

ヴァトー、謝肉祭、著名な人々あまた集い
煌びやかにあちらこちらと蝶々さながら、
色鮮やかに明るい、シャンデリアの照らす室内
この目眩く舞踏会に物狂おし気な彼等。

Watteau, ce carnaval où bien des cœurs illustres,
Comme des papillons, errent en flamboyant,
Décors frais et léger éclairés par des lustres
Qui versent la folie à ce bal tournoyant ;

ゴヤ、悪夢は見知らぬものだらけ、
食い物にされる胎児、サバトの最中に
鏡を持つ老婆や子供たちの裸、
悪魔でも惹き込もうと靴下もぴっちり

Goya, cauchemar plein de choses inconnues,
De fœtus qu’on fait cuire au milieu des sabbats,
De vieilles au miroir et d’enfants toutes nues,
Pour tenter les démons ajustant bien leurs bas ;

ドラクロワ、邪悪な天使に憑かれた血の池、
影を落とすは常緑のモミの木
悲しげな空の下、鳴り渡るファンファーレ、
ウェーバーの押し殺した溜息。

Delacroix, lac de sang hanté des mauvais anges,
Ombragé par un bois de sapins toujours vert,
Où, sous un ciel chagrin, des fanfares étranges
Passent, comme un soupir étouffé de Weber;*3


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以上の恍惚、以上の叫び、以上の賛歌、
以上の呪い、以上の冒涜、以上の苦悶、
千の迷宮に跳ね返る谺、
人の心に味わえる神のアヘン!

Ces malédictions, ces blasphèmes, ces plaintes,
Ces extases, ces cris, ces pleurs, ces Te Deum,
Sont un écho redit par mille labyrinthes ;
C’est pour les cœurs mortels un divin opium !

千の番兵繰り返す叫び、
千のメガホン返す命令。
千の城塞に灯された烽火のろしび
大いなる森に迷い込んだ狩人たちの呼び声!

C’est un cri répété par mille sentinelles,
Un ordre renvoyé par mille porte-voix ;
C’est un phare allumé sur mille citadelles,
Un appel de chasseurs perdus dans les grands bois !

主よ、そは真に最高の証なれば
我等おのが尊厳をば示し得たり
時を超え語り継がれよう、この熱き嗚咽は
そして死すは貴下が瀬戸際、永遠に!

Car c’est vraiment, Seigneur, le meilleur témoignage
Que nous puissions donner de notre dignité
Que cet ardent sanglot qui roule d’âge en âge
Et vient mourir au bord de votre éternité !


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訳注

*1 fleuve d’oubli:
「忘却の川」レーテ Lethe は、ギリシャ神話に於けるエリス(争い)の娘、物忘れの化身。冥府の川。
ハムレット』第1幕第5場
亡霊:汝こそ相応しかろう、
太った葦より愚鈍な筈もなかろう、
忘却の川のほとりにぬくぬく腐って在る如き。
GHOST: I find thee apt;  
And duller shouldst thou be than the fat weed  
That rots itself in ease on Lethe wharf, 
*2 jardin de la paresse:
当時の流行り文句かと思って検索すると、同名の三つ星の宿が真っ先に出てきた。今でも人気のようだ。jardin de la paresse littérature として再検索すると、怠惰の本が出てきた。 期待した言い回しとしては、本節以外に拾えていない。創造というより綜合の才人であったボードレールなら、市井の流行り言葉を掬い上げた筈なのだが。
「怠惰」は、歴史的に非難を受けてきた。聖書では
箴言10章
4 手を動かすことを怠る者は貧しくなり、勤め働く者の手は富を得る。
伝道の書10章
18 怠惰によって屋根は落ち、無精によって家は漏る。
マタイによる福音書25章
26 すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
ヘブライ人への手紙
12 怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。
テサロニケ人への第2の手紙3章
6 兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。
7 わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、
8 人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。
10 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。
11 ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。  
以上、旧約・新約とも怠惰を非難している。ところが「憂鬱」「鬱病」と訳される Melencholia は、ヒポクラテス/ガレノスの四体液説に由来する古来の気質または病気であり、同時に気が塞ぎ無気力な心的気質としても理解 され、七つの大罪に数えられる怠惰(sloth, acedia) と同一視された。

九州大学附属図書館企画展「東西の古医書に見られる病と治療」1 西洋の体液病理学 
メランコリア I(独: Melencolia I, Melancholia I)

出羽尚 トムソンの『怠惰の城』と怠惰の系譜(4)
つまり「憂鬱 = 怠惰」と逆転して捉えれば、「怠惰の園」の描き手ルーベンスに始まるこの詩が、「憂鬱と理想」の章の玄関口に置かれた画廊であることが解る。なお、ボードレールは取り上げなかったが、アルブレヒト・デューラーの銅版画「メランコリア I」は、爾後の「怠惰」=「憂鬱」イメージを決定づけた。ロダン「考える人」の体勢も、これに近いのは興味深い。描かれた人物は桂冠を頂戴し腰帯に鍵と財布を提げ、スカートを履くので女性とされるけれども、翼を持つのは天使であり、天使に性別はなく、聖画では男性として描くことが多い。魔方陣や鐘、砂時計、天秤、球形や多面体、大工道具など記号が多く、明らかに寓意画であるが、その意味するところは今なお明らかではない。
*3 Weber:
ウェーバー『魔弾の射手Der Freischütz』は1841年、パリ・オペラ座の要請により、ベルリオーズがグランド・オペラに編曲したものが上演された。グランド・オペラはバレエを挿入する決まりであったため、この時ベルリオーズが、ウェーバーピアノ曲から編曲して組み込んだ舞曲が『舞踏への勧誘』オーケストラ版である。


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このフランス語版を観たチャイコフスキーはしかし、この挿入バレエを「フランス人の厚かましさ」と酷評している。