悪の華
Les Fleurs du mal (1861)
Charles Baudelaire/萩原 學(訳)
憂鬱と理想
SPLEEN ET IDÉAL
〜藝術詩群〜
13. 流浪の民
XIII
BOHÉMIENS EN VOYAGE
表題は「旅ゆくジプシー」「ボヘミアン」ほか複数あり
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燃える目をした予言の一族
昨日、旅路に。幼子を、あるいは背負い
あるいは旺盛なる食欲に、恒なる用意
垂れた乳房という宝が届く。
La tribu prophétique aux prunelles ardentes
Hier s’est mise en route, *1 emportant ses petits
Sur son dos, ou livrant à leurs fiers appétits
Le trésor toujours prêt des mamelles pendantes.*2
光り輝く武器を手に男たちは歩いて行く
家族の身を寄す荷馬車に寄り添い
虚ろな両目が虚空をさまよい
倒すべき強敵の無きを皆して惜しみつつ。
Les hommes vont à pied sous leurs armes luisantes
Le long des chariots*3 où les leurs sont blottis,
Promenant sur le ciel des yeux appesantis
Par le morne regret des chimères*4 absentes.
コオロギが流行り歌を砂の隠れ家の底から
倍も忙しなく、通り過ぎる彼等を見てから
地母神は緑を増やす、愛おしげにも、
Du fond de son réduit sablonneux, le grillon,*5
Les regardant passer, redouble sa chanson ;
Cybèle, qui les aime, augmente ses verdures,
岩を溶かすは、砂漠に花を咲かせるは。
この旅人たちの前に口を開けるは
お馴染みの帝国、お先真っ暗の。
Fait couler le rocher et fleurir le désert
Devant ces voyageurs, pour lesquels est ouvert
L’empire*6 familier des ténèbres futures.*7
オーストリア帝国 The Austrian Empire in 1815.
訳注
- BOHÉMIENS:
- 題名のこの語は、字面こそ「ボヘミア人」であり、チェコ西部に住む人を指すが、フランスでは専ら、嘗て「ジプシー gypsy」「ツィガーヌ Tzigane」「ツィゴイネル Zigeuner」などと呼ばれた行路商人をいう。15世紀に「エジプトの方から来ました」などと言うものだから、gypcian(Egipcien の短縮形)と呼ばれる集団があり、それが gypsy となって広まったものらしい。それでシューマン『流浪の民 Zigeunerleben』(1840)にもナイル川が出てくる。とはいえ、エジプト出身でないのはとっくにバレており、ロマ Roma との自称もあり、ルーマニア Romania(ワラキア+モルダヴィア+トランシルヴァニア)がその本拠と考えられていたようだ。ロバート・ブローニング(1812-1889)『ハーメルンの斑な笛吹き The Pied Piper of Hamelin』(1842) では子供たちが魔法でトランシルヴァニアへ行ったように歌うし、 『天翔ける公妃 The Flight of The Duchess』(1845)ではモルダヴィアの隣国が舞台になり、訪れたジプシーの老婆が異国の女王だったりする。だが実際には、ワラキアで「国内に住むジプシーは全員奴隷」とされるなど、厳しい差別に晒された。1971年には第1回World Romani Congressで Roma 以外の呼称は差別語として排斥が決まったけれど、イギリスでは今なお gypsy を名乗る者もあり、また Roma 以外にも gypsy と呼ばれた民族があるなど、事態は今なお流動的である。
- *1 emportant ses ...:
- 以下、押韻のため強引に改行してあり、翻訳機がろくに動かない。既訳を参考に DeepL 上で色々と弄くり回し、その結果を詩句に書き換えて再配置したけれども、律動の再現には至らなかった。いずれは改訳したい。
- *2 Le trésor toujours prêt des mamelles pendantes:
- この一文を、平岡公彦氏は「垂らした乳に常備した宝」と訳し遊ばされた。DeepL 翻訳機で弄ったら「いつでも使える垂れ乳房という宝物」との訳文を得られたので、少し違うけれど、これでいく。バイロン卿に始まる「悪魔派」に連なる「呪われた詩人」poëte maudit でありながら、乳呑児や母親に注ぐボードレールの視線には、壊れ物を扱うような気遣いがある。
- *3 chariot:
- フランス語に於ては「荷馬車」「台車」といった用例ばかりで、「古代の戦闘馬車」は Char と呼ぶもののようだ。タローカードの大アルカナ7番は、マルセイユ版でも LA CHARIOR なのだけど。今となっては、ポルナレフ……おまえ、荷馬車を…
- *4 chimères:
- ガーゴイルとして知られるノートルダム大聖堂の魔除けは、地元ではこの名で呼ばれる。そもそもガーゴイルは雨樋であるのに、ノートルダム大聖堂の大改修(1844 -1864)で付加された魔除けは、その用を満たしていない事情もある。
挿絵は1826年にクルックシャンクが『魔弾の射手』狼谷の魔弾鋳造を戯画化したもので、あるいはキマイラを使った舞台装置もあったのかもしれない。なお、ウェーバーのオペラ『魔弾の射手』フランス語版は当初はウケず、パリ・オペラ座の要求によりベルリオーズがグランド・オペラに編曲したものが1841年に上演されて初めて広く知られるに至った。 - *5 le grillon:
- コオロギの鳴き声を死の兆しとする前例は、シェイクスピアに見られる。そのネタ元は今のところ不明。
- 『マクベス』第2幕第2場
- LADY MACBETH:
- I heard the owl scream and the crickets cry.
- *6 L’empire:
- 1861年当時のオーストリア帝国(1804 - 1867)は、その前身のハプスブルク帝国(1526 - 1804)と大差なく、イタリア北部〜ハンガリーを領土とする。のだが、ハプスブルク帝国というのがハプスブルク家の関わる属領、ひいてはイスパニア(スペイン)までも含まれる事がある。何れにせよ、フランスを発ってルーマニアに向かうなら、この大帝国を通過しなければならないので、この辺り中々上手い表現だと感心せざるを得ない。
- *7 ténèbres futures:
- ハプスブルク家の勢力を削ごうと、フランスが三十年戦争に加担して以来、帝国は衰退の一途を辿ってはいた。とはいえ、1861年当時はまだヨーロッパ一円で極めて強力な国家連合であり、ボードレールの表現は多分に希望的予測が入っているものと言わねばなるまい。