悪の華
Les Fleurs du mal (1861)
Charles Baudelaire/萩原 學(訳)

憂鬱と理想
SPLEEN ET IDÉAL
85. 時計
LXXXV
L’HORLOGE
脚韻ABBA 時計の独語とする形。原文は第2行に «、最後に » と打つのみであるが、判り難いので、訳文では各節を「」で括ることにした。
憂鬱詩群及び「憂鬱と理想」の章ここまで
魔性の血さんの新訳で、重要な指摘を頂いた。シバンムシ(死番虫)と呼ばれる木材を喰らう虫があって、フランス語では「死の時計(Horloge de la Mort)」と呼ぶそうだ。
自分にはまったくの盲点で、調べてみたらポオの短編『告げ口心臓』も下敷きにしているようだ。投稿サイト「小説家になろう」に、「着地した鶏」氏による『告げ口心臓』の邦訳があるので、一読をお薦めする。
カチカチと死を刻む壁中の死番虫の音に、ジッと耳を傾けていたので御座います。
時計!不吉な、畏るべき、無表情の神、
その指、我等を脅して曰く「覚えよ!
恐怖に慄く心臓に走る鮮やかな痛みを
たちまち刺さろう、標的のように。」
Horloge*1! dieu sinistre, effrayant, impassible,
Dont le doigt*2 nous menace et nous dit : « Souviens-toi*3!
Les vibrantes Douleurs dans ton cœur plein d’effroi
Se planteront bientôt comme dans une cible ;
「儚い喜びは、水平線へと逃げ去る、
その姿は風の精、舞台裏に引っ込む。
一瞬一瞬が、喜びの欠片を貪り食う、
人それぞれの時季に皆与えられる。」
Le Plaisir vaporeux fuira vers l’horizon*4
Ainsi qu’une sylphide au fond de la coulisse ;
Chaque instant te dévore un morceau du délice
À chaque homme accordé pour toute sa saison.

「1時間ごとに3,600回、『秒』が
ささやく:思い出せ! ……早く、と出ている声音は
虫の、『現在』語るは『我は、もはや【過去】は、
お前の命を吸った、この汚い口吻が!』」
Trois mille six cents fois par heure, la Seconde
Chuchote : Souviens-toi ! — Rapide, avec sa voix
D’insecte*5, Maintenant dit : Je suis Autrefois,
Et j’ai pompé ta vie*6 avec ma trompe immonde !
「リメンバー!スウイェン・トワ、放蕩者! エスト・メモーレ!
(わが金属の咽喉、諸言語に通暁)
数分すら金塊ぞ、死すべき愚者よ、
黄金採らずして棄て置く勿れ!」
Remember ! Souviens-toi, prodigue ! Esto memor !
(Mon gosier de métal parle toutes les langues.)
Les minutes, mortel folâtre, sont des gangues
Qu’il ne faut pas lâcher sans en extraire l’or !
「忘れるな、『時』は貪欲な賭博師である
イカサマなし、でも毎回勝つ!それが掟だ。
日が傾こうと、夜が更けようと、忘れるな!
深淵は常に渇き切り、水時計は空になる。」
Souviens-toi que le Temps est un joueur avide
Qui gagne sans tricher, à tout coup ! c’est la loi.
Le jour décroît ; la nuit augmente ; souviens-toi !
Le gouffre a toujours soif ; la clepsydre*8 se vide.
「やがて鳴り響く『時』、神聖なる『機会』が、
あるいは処女の花嫁たる崇高な『美徳』も
(そう、最後の宿!)『悔恨』の念さえも
揃って告げよう『死ね、腰抜け爺!時間切れだ!』」
Tantôt sonnera l’heure*10 où le divin Hasard,
Où l’auguste Vertu*9, ton épouse encor vierge,
Où le Repentir même (oh ! la dernière auberge !),
Où tout te dira : Meurs, vieux lâche ! il est trop tard ! *11»
訳注
- *1 Horloge:
- 英語 clock に相当する「置時計」「大時計」を指す。禍々しい描写に終始する本作は、ポオ『陥穽と振子』を思わせるものがあり、この点は詩の形式共々、前篇に類似する
- *2 doigt:
- 時計の「針」は、フランス語でも普通に aiguille(針)というが、ここでは「指」としている
- *3 Souviens-toi !:
- 以下、この一言はハムレット父の Remember me! のように、吸血鬼の Remember the oath. のように、繰り返し刻まれる poetlabo.hatenablog.jp
- *4 horizon:
- 「水平線」であると同時に、舞台のホリゾント(背景)でもある
- *5 D’insecte:
- 前行から続けて「虫の声」ということらしい。時計の出すチクタク音を虫に準えている。虫の音が海外で雑音にしか聞こえないというのは俗説に過ぎないが、国によって好みが異なるのは事実のようである。
すっかり忘れていたが、アラーム付き腕時計を Cricket と名付けるくらいだから、欧米でも虫の音を無視しているわけではない。ただ、音色を聞く限り「コオロギ」以上のものではない。日本の鈴虫は秋田県が北限で、残念ながら欧米では知られていないようだ。
- *6 pompé ta vie:
- 蝶が花の蜜を吸うように、時間が「おまえの生命を吸う」というのは、汚穢な印象は受けない。誤訳したか?まあ拡大してみると意外に複雑な構造で、グロテスクな感じはするかも知れない。それより、蝶の口吻に蚊のようなポンプは見当たらないという方が意外で、浸透圧で吸い上げているらしい。もしかしたら、コウイカやオウムガイのような浸透圧制御機構が、蝶の小さな身体に備わっているのだろうか? それはそれとして、「生気を吸い上げる」点では、これは吸血鬼の一種と見るべきであろう。
- *7 gosier de métal:
- 古くは文字盤がなく、鐘を鳴らすのみの大時計もあったという。また、現在時刻を音で報せるリピーター機構は、電灯普及以前の夜に重宝された ja.m.wikipedia.org
- *8 clepsydre:
- 水時計は日時計と同じくらい古くからあるもので、しかしメソポタミアでは現物が出土しておらず、今のところ最古の品は紀元前1417~1379年頃、エジプト新王国時代アメンホテプ3世の治世とされる。原理的には、穴の開いたバケツから一定の水量を流し、これを雨量計の枡で受けるようなもの。図に示すローマ時代のものにはサイホンが併用され、枡が満杯になると自動的に空になる
- *9 Vertu:
- 女性名詞なので花嫁扱い
- *10 sonnera l’heure:
- 何処かで見たと思って探してみたら、ギョーム・アポリネール「ミラボー橋」の一節だった
- *11 il est trop tard ! :
- 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』終盤では、騎士ドン・ジョヴァンニに殺された騎士長の石像が「悔い改めよ」と迫る。意地でも「嫌だ」と繰り返すドン・ジョヴァンニ、遂に石像は「もう時間が無い」と宣言して退場、騎士は地獄に落ちる







