R&RがR&Bに由来するのは申すまでもないが、どの辺で分岐したかは曖昧で、実は分岐してないんじゃないかと思うこと度々。それでふと思い出した一曲を探してみた。
ロックンロールの始まりは、エルビス・プレスリーとこの人だった筈で、その代表曲(1958)。もうオリジナル・アルバムの形では売っていないのか、Amazon でも見当たらなかったのは残念。
合衆国では1954年にカラーTV放送が始まっていたが、まだ普及はしていなかったようだ。ほぼ同年にクラシック音楽のステレオ録音が始まり、レコード盤のステレオ化もRCA/ウェストレックスの45 - 45方式に決まるものの、ステレオレコード盤の販売は1958年からのようで、まだモノーラル音声の時代。
今見ると、すげぇ時代を感じてしまうのだが。「アメリカ」って国がキラキラして見えた時代もあったんだよ。
晩年は朦朧として悲惨な私生活であったのに、起こして着替えされれば奇跡的にショウを務めたというプレスリーによるカヴァー。色々言われ過ぎて、どれが本当か判らない。ただ、この頃にはギターを持っていない。この白人が身体をくねらせつつ黒人音楽を演ってロックンロールが始まった、なんて新聞のコラムにまで書かれたりはしたけれど。そもそもこの人は貧乏のあまり黒人居住区で育ったから、自分が好きなこと、自分にできることを突き詰めたまでで、歴史的に特別なことをしているなんて自覚はなかったのではないか。外野から見ているだけの人間は所詮、筆者も含め、自分が言いたいことを言うだけの無責任な者ばかりだ。
『マカロニほうれん荘』がヘビーメタルをネタにしていた時代があって、しかし今思えば、どのバンドの真似か思い出せない。一方でブライアン・フェリーがどうとか言っていたから、まあ滅茶苦茶な世界ではあった。
筆者としてはヘビー・メタル=ブルー・オイスター・カルトだったから、続々と湧いてきた「ヘビーメタル・バンド」には、音が好きでも違和感が残る。終いにはレッド・ツェッペリンまでヘビーメタルと言われたし、このジューダス・プリーストにしてもレコードは好きでもライブ映像はカルト集会みたいで、あまり近寄りたくない。しかし、演奏の独自性では一番進んでいたのではないか。やりたい事やってるだけ、と言ってしまえばそうなんだけど。
この人は別格。他人の曲を演奏している筈なのに、ジミ・ヘンドリックス以外の何者でもないという。早過ぎる死が惜しまれるけれど、こんな人間が長生きできる筈もなく、遺された音楽に感謝を。
ジョニー・ウィンターと言えば「100万$ギタリスト」と呼ばれた程にはギターの名手であり、その腕前の程はお聞きの通りであるのだけど。だからといって本邦にてもレコードがガシガシ売れたかというとそんなことはなく、筆者にしても「そう言えば居たっけ」な感じ。うーむ、何が足りんかったのだろう?ある意味これ以上は求めようがない演奏家なのに。2014年薨去、合掌🙏
一人で全パートを演奏し撮影し配信する、スタイル的にも技術的にも最新の録音なわけだが。あまり新しさを感じないのは何故だろう… アマチュアがプロに及ばないのはさて置き。
最後は楽しそうな人たちの一幕をどうぞ。生きてて良かった。
ん、リズム・アンド・ブルースの行方?何処かで棲み分けしたんじゃないのかな… はっきり結論出すような問題でもないように今は感じている。

