悪の華
Les Fleurs du mal (1861)
Charles Baudelaire/萩原 學(訳)
叛逆
RÉVOLTE

此処から新章
118. 聖ペテロの否認
CXVIII
LE RENIEMENT DE SAINT PIERRE
『聖ペテロの否認』は、救い主イエスが捕縛されたとき、逃げ出した弟子の一人ペテロが誰何され、師イエスとの関係を問われて「私はその人を知らない」と否定する場面で、新約聖書の福音書四書全てに記載されている。『ユダの裏切り』と対比して、キリスト教徒にとって馴染み深く重要であったのか、複数の画家がこれを描いている。
マタイによる福音書26章
33 するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。34 イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」。35 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。
47 そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。48 イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。49 彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。50 しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々は進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。51 すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。52 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。53 それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。54 しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。55 そのとき、イエスは群衆に言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。56 しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」。そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
69 ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。70 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。71 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。72 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。73 しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。74 彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。75 ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
何事をか神の為し給わん、この呪詛の波に
愛する熾天使に日々押し寄せる?
冒涜すら甘美な響きと聞き流す
神は就寝、酒池肉林に溺れる暴君のように。
Qu’est-ce que Dieu fait donc de ce flot d’anathèmes
Qui monte tous les jours vers ses chers Séraphins ?
Comme un tyran gorgé de viande et de vins,
Il s’endort au doux bruit de nos affreux blasphèmes.
殉教者や拷問を受けた者たちの嗚咽は
陶酔の交響曲であるに違いない、
官能的な響きに血が流れるのに
なおも天は飽き足らずに居るのだから!
Les sanglots des martyrs et des suppliciés
Sont une symphonie enivrante sans doute,
Puisque, malgré le sang que leur volupté coûte,
Les cieux ne s’en sont point encore rassasiés !
……どうかイエスよ、思い出し給え、オリーブの園を!
貴方は素朴にも、跪いて祈ったものだ
釘の音を天上で一笑に付した方 に、だ
卑劣な処刑人が、貴方の生ける肉体に打ち込んだ釘の音を、
— Ah ! Jésus, souviens-toi du Jardin des Olives*1 !
Dans ta simplicité tu priais à genoux
Celui qui dans son ciel riait au bruit des clous
Que d’ignobles bourreaux plantaient dans tes chairs vives,
守衛所や厨房にとぐろ巻くろくでなし共が
貴方の神性に唾を吐くのを見たとき、
そして骨に食い込むのを感じたとき、
広大な人間性が宿るあなたの頭蓋に、棘が
Lorsque tu vis cracher sur ta divinité
La crapule du corps de garde et des cuisines,
Et lorsque tu sentis s’enfoncer les épines
Dans ton crâne où vivait l’immense Humanité ;
打ち拉がれた貴方の身体の恐るべき重さに
伸ばされた両腕からは血が、
そして青白い額からは汗が
流れて、標的のように皆の前に晒された時、
Quand de ton corps brisé la pesanteur horrible
Allongeait tes deux bras distendus, que ton sang
Et ta sueur coulaient de ton front pâlissant,
Quand tu fus devant tous posé comme une cible,
永遠の約束を果たしに来たとき、
あの明るく美しい日々を夢見ていたのか?
穏やかな雌ロバにまたがって、花や枝が
散らばる小道を歩いたそのとき、
Rêvais-tu de ces jours si brillants et si beaux
Où tu vins pour remplir l’éternelle promesse,
Où tu foulais, monté sur une douce ânesse,*2
Des chemins tout jonchés de fleurs et de rameaux,
希望と勇気に貴方は胸膨らませて、
下劣な商人ども悉くをぶちのめしていたのが、
遂に自分が主人公となった所で?自責の念が、
槍より深く、脇腹に突き刺さって?
Où, le cœur tout gonflé d’espoir et de vaillance,
Tu fouettais tous ces vils marchands à tour de bras,*3
Où tu fus maître enfin ? Le remords n’a-t-il pas
Pénétré dans ton flanc plus avant que la lance ?

行動というものが夢の妹ではない世界から、
もちろん私は満足して去るとしよう。
私は剣を使い、剣によって滅びよう!
聖ペテロはイエスを否認……いいじゃないか!
— Certes, je sortirai, quant à moi,
D’un monde où l’action n’est pas la sœur du rêve ;
Puissé-je user du glaive*4 et périr par le glaive !
Saint Pierre a renié Jésus… il a bien fait !
ラヴェル: ヴァイオリン・ソナタ ト長調
ラヴェル唯一のヴァイオリン・ソナタ。とされていたが、死後になって別の若書きが見つかった。そちらの方を「遺作」と呼ぶが、制作年代は此方が晩年に近い。緩徐楽章の代わりに「ブルース」があり、しかしまだ渡米していなかったから、jazz の採り入れは後年のピアノ協奏曲ト長調の方が巧みである。
訳注
救い主イエスご受難の一場面であるから、J. S. バッハ『マタイ受難曲』などにも歌われている。大バッハより百年前、同じように音楽の仕事をしたハインリヒ・シュッツも、同じように『マタイ受難曲』を遺している。ついては是非、バッハの作品と聴き比べてほしい。今ひとつ演奏録音がこなれていないのは残念であるが…
*1:イエスが十字架に架かる前夜、神に祈りを捧げたこの場所は専ら「ゲッセマネの園」と呼ばれている。
マタイによる福音書26章
36 それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。ja.wikipedia.org
*2:英語で Palm Sunday、フランス語で Dimanche des Rameaux と呼ばれているイエスの祭日は、本邦にては教派により、枝の主日(日曜日)・棕櫚の主日・聖枝祭などと呼び分けられており、要はエルサレム入城の記念日。「棕櫚」と言っているのは、実際はナツメヤシ。ja.wikipedia.orgマタイによる福音書21章
6 弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、7 ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8 群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。9 そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。
*3:「宮清め」は、エルサレムに入城したイエスが商売人を見て怒り、全員鞭打って叩き出し、店という店をぶち壊しにしたテロの一件である。ユダヤ人の救い主であったイエスを崇めるキリスト教会は、同じく昔から忌み嫌う商売をユダヤ人に押し付け、その上でまた商売人ブチのめしネタが昔からウケたのかよく描かれたen.wikipedia.orgマタイによる福音書21章
12 それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。13 そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
ヨハネによる福音書2章
13 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。14 そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、15 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、16 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。
*4:薙刀に近い長柄武器。邦訳聖書では「剣」ja.wikipedia.orgマタイによる福音書26章
51 すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。52 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。





