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『吸血鬼』参考文献集

今週のお題「私の○○○ランキング」

当初はバイロン卿を騙って発表され、吸血鬼文学の嚆矢となったジョン・W・ポリドリ博士の小説『吸血鬼』(1819)については今なお謎が残り、世界中で研究対象になっている。ついては、そのための原典及び参考文献を紹介しよう。大半が英語とか欧米のものばかりなのは、マニアック過ぎるかもしれないけれど、なにしろ作者がイギリス人なのでしょうがない。

1. 吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

www.vampire-load-ruthven.com

日本語で、動画もあって、調査研究進行中の吸血鬼解説となると、最も詳しく、ネタまみれで、進んでいるwebサイトだと思う。参考文献も多数紹介され、吸血鬼ポータルとして利用している。後は、更新さえしてくれれば言う事なし。

2. The New Monthly Magazine No. 63. Vol. XI. APRIL 1, 1819.

poetlabo.hatenablog.jp

手前味噌ながら、先日翻訳公開したばかりの雑誌記事が、『吸血鬼』原典となる。この記事では、小説部分が A Tale. by Lord Byron. と明記されている。これに対して、雑誌を受け取ったポリドリ博士が直ちに(4月2日)編集部へ抗議の手紙を寄せ、5月1日号にその一部が掲載された。4月27日にはバイロン卿が、怒りの便りをフランスの『ガリニャーニ』誌へ送り付けている。…ここで疑問を感じた方は、それを覚えておいて頂きたい。

3. The Vampyre.

Wikisource にあるSHERWOOD, NEELY, AND JONES版が、以後に発行された単行本の種本となった。今でも英米で販売されている The Vampyre. は、この本のコピーか、リライト版の何れかなので、金を出して買う価値はない。ただ、この本が以下の4章から成る点には注意されたい。今まで出版された邦訳は 3.のみか、よくて 2.3. までしか訳されていない。

  1. Extract of a Letter from Geneva
  2. Introduction
  3. The Vampyre
  4. Account of Lord Byron's Residence, &c.

このうち、1. については雑誌記事から一部省略され、2. は[ Ed.](編注)として、小説の前に挿入されていたもの。ミティリーニの島 ISLAND OF MITYLENE*1 の邸宅をバイロン卿の住処として紹介する 4.に至っては、雑誌に収録されていない。バイロン卿は『ガリニャーニ』誌宛てに「ミティリニ島に住んだ事なんかないぞ(#゚Д゚)ゴルァ!! 」とお怒りであったから、御覧遊ばされたのは雑誌記事ではなく、この単行本の筈である。しかも

[Entered at Stationers' Hall, March 27, 1819.]

と当時の著作権表示があって、雑誌より前に発行されている。英米の論文や解説書でも、この本は翌月に発行されたと記してあったりするが、ポリドリ博士4月2日付の抗議に於て「この本を買ったら、3月27日発行とあるのはどういうことか」と問い合わせがあるので、この発行日が正しいものらしい。

4. Literary Vampire

tumbler というブログサイトにある個人ブログらしく、やや情報が古いところもあるようだが。『教会7つの謎』SEVEN MYSTERIES OF THE CHURCH (fragment) by Bishop Varlaam of Moldavia (1645)から『鍋島の化け猫』THE VAMPIRE CAT OF NABÉSHIMA - folktale - (1871)、『ルーマニアの吸血鬼』THE VAMPIRE IN ROUMANIA by Agnes Murgoci (1926)に至るまで、色々と取り揃えてある。

5. The Diary of Dr. John William Polidori

作者自身の日記。妹御シャーロットが書き写し、甥のウィリアム・ロセッティが編集出版(1911)。7月2日から9月5日までの間が飛ばされ、自筆原稿は失われ、もどかしいところは残るけれど、研究の基礎。ロセッティによる前書きには、ポリドリ博士の編集部宛て抗議の手紙全文の引用も含む。

6. Letters and Journals of Lord Byron: With Notices of his Life

トマス・ムーアの編纂になるバイロン卿の手紙や日誌など。Polidori で検索すると、ポリドリ博士が足を捻挫した事情などが語られていて興味深い。この人は医者のくせにイタリア系移民の子ゆえか、バイロン卿にも劣らない熱血タイプであったらしく。メアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン(後のシェリー夫人)がディオダティ荘へ至る雨上がりの坂道を苦労して上っているのを露台から眺めていたら、「紳士たる者、この程度の段差は飛び降りて、腕くらい差し出すんだがな。弱虫ヤーイ」とバイロン卿に囃し立てられ、見ていろとばかりにジャンプ一番、見事に足を挫いたのだそうな。どこの坊ちゃんだ、あんたは… 

かの「ディオダティ荘の怪奇談義」がこの翌日からで、実は雨が続いたからではなく、動けないポリドリ博士に付き合った結果らしいというのがまた何とも。

7. Vernünftige und Christliche Gedancken über die Vampirs

ドイツ語読める人が居たら、翻訳してくれないかなぁ?と期待を込めて。『チェンバースズ・ジャーナル』で紹介されていた、ヨハン・ハレンベルク Johann Christoph Harenberg (1696 - 1774)校長先生1733年の吸血鬼批判本。前年に出たばかりのアルノルト・パウル事件の報告(上記4. VISUM ET REPERTUM by Johannes Fluckinger (1732))を取り上げて考察したり、記録された最初の吸血鬼ジウレ・グランド Jure Grando の記事を、クリンクの話としてヴァルヴァゾール『カルニオラ公国の栄光 The Glory of the Duchy of Carniola 』からそっくり引用したり、狼男現象にも手を伸ばしたり、やれるだけのことはやった観がある一冊。次いでに表題で Vampir と綴り、英単語 Vampire の綴りもひょっとしたら此処からかもしれない。

8. バイロン卿『断章 Augustus Darvell, a fragment of a Ghost Story』『異教徒 The Giaour

オーガスタス・ダーヴェルというのは、上記4. 所収 THE BURIAL by Lord Byron (1816)と同じものだが、此方はバイロン卿研究家ピーター・コクラン氏の校注になるもの。この作品が、バイロン卿とホブハウス John Hobhouse, 1st Baron Broughtonエフェソス詣でを元にしていることが、ホブハウスの日記との比較により示される。作中の語り手と友人オーガスタス・ダーヴェルとの関係は、バイロン卿とポリドリ博士ではなく、ホブハウスとの付き合いを描写したもの。ギリシア独立を焚き付けてトルコと敵対することになるバイロン卿だが、トルコを嫌っていた訳ではないようだし、トルコを扱った詩篇は何れも好評だった。ただ、ヨーロッパ人一般のトルコイメージが実際とは違っていたのも確かで、モーツァルトの「トルコ風」と、トルコ軍楽の一つジェッディン・デデン(祖父も父も)は全然違う。


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モーツァルト:VN協奏曲全集

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ヴォルフガング・シュナイダーハンは、小生が敬愛してやまないウィーンのヴァイオリン弾きで、クレメンス・クラウスに抜擢されてウィーン交響楽団からウィーン・フィルに移り、その何れでもコンサートマスターを務めた。バロックから現代音楽まで何でも弾いてみせ、ただパガニーニヴィエニャフスキといったショウピースには手を出さなかった。そんな人が弾くドイツ物はモーツァルトであっても陰翳豊か、カデンツァも自作らしく他で聞けない。いつでも何でも華麗にキラキラ美音なグリュミオーなどとは凡そ対極にあるスタイルで、それ故にか本邦ではあまり人気がなかったように思う。しかしこの音に馴れ親しんだ自分の耳には、他の派手な演奏は上滑りしているように聞こえてしまい、それは好みの問題だろうと言われてしまえばそれまでであるけれども、一人でも愛好者が増えれば幸甚。

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Giaour とは、回教徒から見た、キリスト教徒その他の異教を奉ずる者を指す蔑称。長らく新訳が出ていなかったので、「小説家になろう」に置いた翻訳へ連鎖しておく。バイロン卿はこの作品を繰り返し改訂し、最終的には当初の倍以上になったので、どれが原典か微妙なところ。E. H. コールリッジの校注によるバイロン卿作品集第3巻を見るのがお勧め。注釈を追っていくと、この作品が変人ベックフォードのゴシック奇譚『ヴァテック』に依拠しているのがよく解る。

アーネスト・コールリッジ先生は、詩人サミュエル・テイラー・コールリッジの孫に当たる人。そのコールリッジ先生も触れていないことだが、筆者はモーツァルトのオペラ『後宮からの逃走』の要素を強く感じてしまう。


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9. サミュエル・テイラー・コールリッジ『クリスタベル姫』『年寄り船乗り』

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『クリスタベル姫』をバイロン卿が暗誦して、シェリーが錯乱した場面が印象的なあまり、目撃したポリドリ博士まで順序を間違えてしまったようだが、あれは解釈次第だと思う。未完だし、メスメリズムの影響は『年寄り船乗り』にこそ顕著で、月の光を浴びた死体が起き上がって操船する描写もある。

10. シェイクスピアハムレット  The Tragedie of Hamlet, Prince of Denmark』


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The Tragedie of Hamlet, Prince of Denmark.

ハムレットの台詞に「聖パトリックにかけて」とあるのが、初めて読んだときから意味不明だった。戯曲『ハムレット』自体が宗教改革を背景とすること、マルチン・ルターが『95か条』を張り出し宗教改革の牙城となったウィッテンベルクに、ハムレット王子が行っていたことなどを意識した翻訳は(よりによって岩波文庫というのが気に食わないが)野島秀勝訳が最初であろう。小生はそれを見てもよく判らず共感できず、『吸血鬼』翻訳中に木原誠『煉獄のアイルランド』を読んで、ようやく事情が解った。聖パトリック(パトリキウス)アイルランドキリスト教を布教した聖職者で、アイルランド北端ダーグ湖に浮かぶステイション島に、『聖パトリックの煉獄 St Patrick's Purgatory』と呼ばれる穴があったのだ。

生まれ変わりを認めないキリスト教では、天国へ行った者は還らず、地獄へ堕ちた者は出られない。今までに復活したのは救い主イエスのみ。残りは最後の審判まで待たなければならない。それだと天国が寂し過ぎないかと、異教の刺激を受けた中世カトリックが『煉獄』を考え出し、地獄に落ちる程の悪人ではなくても天国に行けない者が罪を清める場とした。仏教に由来する我が国の地獄イメージは、この煉獄に近い。マルチンさんが攻撃した贖宥状(免罪符)とは、煉獄に行った父祖の成仏…と言ってはいけないか、浄化が早く済むことを願って、子孫がお供えするものであった。マルチンさんの言い分としては「罪人本人が悔い改めない限り、子孫が幾ら祈っても金を積んでも意味がない」そうで、ここにキリスト教は、死者の冥福を関知しない屁理屈に成り下がったのである。

それでハムレット父はカトリックであるから、天国に行けず煉獄で浄化の焰に灼かれる毎日であるが、夜間だけは出られるという。亡霊が表を出歩くことはあってはいけないので、朝になると帰らねばならぬ(と、ハムレット王子に教える)。聞かされたハムレット王子は、宗教的にも政治的にも新教徒であるから、自分ひとりが「生きるべきか、死ぬべきか」ではなく、「(幽霊なんて、幽霊に指示された仇討ちなんて)有りか、無しか」と迷わざるを得ない。

そんなハムレット王子が、有ってはならない幽霊を見てしまった部下に「口外ならず、我が剣にかけて誓え」と迫るのはやむを得ないことではあったが。これを転倒して口封じの魔術としたのが吸血鬼であったと、そういう事になる。『吸血鬼』には他にも、ハムレットの台詞を変形して引用したところがあって、有名な幽霊噺のリニューアルになっていたからこそ、欧米でウケたのであろう。

*1:ミティリーニはレスボス島の首都