POETIC LABORATORY ★☆★魔術幻燈☆★☆

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『ハーメルンの斑な笛吹き』訳者解題

 この有名な物語は諸説あり、ブローニング*1Nathaniel Wanley "Wonders of the Little World"に拠った。Piedとはカササギ(magpie)のように斑模様な服装を意味する。ハーメルンの教会にあったというステンドグラスの模写を参照。なお、ステンドグラスの記述では1284年6月26日の事、笛吹き男は「色とりどりの衣装で着飾った」とされている。

 ヨーロッパには、聞けば誰もが踊りだすという魔笛伝説がある。モーツァルトが書いたオペラ『魔笛 Die Zauberflöte』K.620は、正にこの魔笛伝説を歌うものであり、何故か今まで指摘されていないが、ロバート・ブローニングは明確にモーツァルトのオペラを意識して、このバラッドを書いている。


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ブローニングが Pipe と呼ぶ通り、「魔笛」は横笛のフルートではなく、パンパイプ


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劇中では鳥刺しパパゲーノが吹くため、パパゲーノパンフルートとも呼ぶらしい。


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フリーメイソンの聖数である「3」へ示すモーツァルトの拘りそのままに、ブローニングの歌うハーメルンの斑な笛吹きも3つの音を吹く。パンギリシャ神話の牧神で、彼の吹く笛こそが、シュリンクスとも呼ばれた「パンの笛」に他ならない。 キリスト教の組織化教条化が進むにつれ、ギリシアの神であったパンも悪魔扱いされてしまい、そのため悪魔が笛を吹く描写もあるけれど、元来は牧神のものであることを忘れないでほしい。

 なお、このバラッドの終りでは、子供たちが「叫び声笑い声を上げ、素晴らしい音楽の後を陽気に駆けていく」。このイメージを レッド・ツェッペリンが「天国への階段」に持ち込んで、音楽の魔術化を成し遂げている。パンの笛の魔術は今なお健在というところであろうか。


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 この物語は、人拐いと化す笛吹きの印象が強いけれども、ハーメルン市の支配権がエーフェルシュタイン伯家からブラウンシュヴァイク公ヴェルフェン家に移ったときの政変劇と捉えれば、『鍋島の化け猫』に同じく、新政権側に都合のよい書き方になっている可能性が高い。逃げ出した原住民には、また別の物語があったのかもしれない。因みに『鍋島の化け猫』は The Vampire Cat. として英訳され、そこそこ人気があったようで、近々邦訳する予定。

 また、ミダス王の神話以来の、「願いを叶える力」が求める代償という側面もある。後の『魔弾の射手』にも見られた考え方で、願いを叶える力を求める者は、その代償として、最も大切なものを差し出さねばならない*2。恋人との結婚を願って魔弾を鋳造した射手は、自ら恋人を撃ち殺す羽目になり、ネズミ退治を魔法使いに願った者は、自分の子供を連れて行かれてしまうのだ。これをワーグナーニーベルングの指環』では、権力を求める者が愛を失う呪いとして、四夜に渡って繰り広げる主題にしている。まあ創る方もよくぞ造ったものだが、これを毎年のように上演し、これを人々が見に来るのだから、つくづく人間というのは業が深いものである。

 

 さて、史実はどうだったか。1260年のゼーデミューンデ戦にハーメルン市民軍が敗れたとき、親を喪った子が多数出たであろう。1284年に連れ去り事件が起きたなら、あるいは30歳を過ぎ、既に要職に居たかもしれない。そんな彼等が、親の仇と繋がったブラウンシュヴァイク公を歓迎したとも思えない。一方、新品の服を誂える事が贅沢だった時代にあって、色とりどりの柄に着飾るのは、相当の富あるいは権力の存在を暗示する。加えて当時は lokator と呼ばれる移民斡旋者が、権力者の意向を受けて各地を回っていた。というのはさて置くとしても、大掛かりな大脱出 Exodus を実行するなら、よく目立つ者を先行させないと迷子も出るであろう。この事件でブラウンシュヴァイク公の支配権が確立した以上、出ていったのは旧支配層に属した旧勢力の筈。しかも当時のハーメルンは城塞都市だったから、門番までもグルになっていないと出ることも叶わない。実際は低年齢層ではなく市長以下、働き盛りの労働力が中心となり、何らかの外部勢力と繋がったからこそ、大脱出が成功し新支配者に痛手を与え、記録されるに至ったと考えられる。旧勢力の怨念を聞く気がするのは、訳者だけであろうか?

 

ハーメルンの子供たち

君知るや我等ハーメルンの子、故郷離れて遠き空。
ポーランドからルーマニアまで、子孫は遠く散らばるを。
道を示すは笛吹き男、ハーメルンの地を棄てぬ。
語れば古きこと乍ら、1260年、我等父親失いぬ。

フルダ僧院我等を売りぬ、ミンデン司教区これを買う。
収まりつかぬは我等が親と、街を育てた
エーフェルシュタイン伯、年貢泥棒
許すまじ、ハーメルンの土地守らんと。

かくてぶつかるゼーデミューンデ、相手はミンデン司教軍。
市民軍士は命散りゆく、捕虜は敵地に引立てられて
儚く刑に処されたり。ミンデン司教区、年貢の半分
持ち掛ける、エーフェルシュタイン伯が敵
ブラウンシュヴァイク公、即ち我等が親の仇。

それまで街を慈しむ、エ伯も最早落ち目にて、
それから17年が経ち、遂に1277年、
彼また売りぬ、ハーメルン市の守護職を。
親の仇も取れずして、我等味方を失いぬ。

それからまた7年が経ち、見知らぬ男密かに来たり
我等が来し方知る者が、片手差し出し此の街出ぬかと。
仲間集まり鍵を開け、街を出るなら誰でも良し!
仇に任せる後始末、見知らぬ土地にいざ行かん!

後は誰もが知る如く、仇は慌てふためいて
我等が怨みに蓋すべく、笛吹き男のせいにした。
今や子孫も知らぬが仏、何処ぞの洞に湧いたとか。
怨みは募るハーメルン、遥かに続く蒼き空。

*1:この詩人は専ら「ブラウニング」で通っており、英国人の発音もそれに近い。一方で、同じ姓を持つ銃火器設計家 John Browning は昔から「ブローニング」と呼ばれるので、レイモンド・チャンドラー描く私立探偵フィリップ・マーロウは「詩人のブローニングだ、君は拳銃の方が好きだろうが」と女に教えることになる。訳者は『赤毛のアン』を読んだことがなく、マーロウの科白からこの詩人を知ったので、どうしても「ブローニング」でないと他人な気がしてしまう

*2:その淵源はおそらく、等価交換を正義としたハンムラビの法典に遡るのであろう。但し、罪には罰を、功績には報酬を等価で報いたハンムラビの法典に対し、主客が転倒してしまっている